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江戸日本の転換点 水田の激増は何をもたらしたか [読書感想文]

 江戸時代=循環型社会と言う定説に一石を投じる意欲作。

 加賀百万石から豊富な文献に基づいて江戸時代の農業を紐解くと言う体裁なので北陸在住の年配研究者が著者だと思っていたら何と沖縄在住で執筆当時は40代だったと言う若い方でビックリです。十七世紀を加賀藩の土屋又三郎と十八世紀前半を晩年幕臣となる田中丘隅(きゅうぐ)と言う2名の篤農家の記した書籍をベースにして分析。特に土屋又三郎の農業図絵である「耕稼春秋」については本書の全編において挿絵として引用されています。

 プロの絵師ではない少し稚拙な感じのする画を詳細に紐解いていて感心します。余白にちょっと鳥を描いただけなのでは?とか収穫風景の絵図を分析して、こちらの写本は農作業の指南書として描かれているがこちらは役人に大根の収穫期に農地の視察をするように描かれており同じ原典の写本でも想定読者層が異なると微妙に違うとか凄いですわ。農業書と言うのは郷土博物館に行くとページを開いた形で展示されているのをよく見ますがそこまで念入りに見た事はないです。

 その絵図をベースに水田の1年を紹介しています。江戸時代の百姓(本書の呼称)は忙しい。なんでも田んぼ部分だけが年貢の課税対象なのだそうで、無税の畔の部分に色々な作物を植えてみたり、自家消費用に赤米(長粒米)栽培していたとは知らなかった。インディカ米と言えば輸入米のイメージですが江戸時代には普通に栽培していたのか。米の種類もやたらと多くて早稲から晩稲まで物凄い種類があったそう、それが市場原理によって高く売れる白くて食味の良い品種ばかりになったと言うのも面白い。本書で読んだ話ではないけれども江戸時代の中期に精米方法が改良されて白米が美味しくなったと聞いたので、それも品種が偏りだした原因の一つかもしれない。

 とにかく畔で菜種や大豆を育てて用水路から侵入する川魚は捕えて売り(売買代金に税がかかるがドジョウなら無税だったとか)、当時武家よりも農村の方が多く保有していた鉄砲で害獣を撃って駆除しつつも貴重なタンパク源としていたとか。田んぼと言うのは日中は百姓が耕作しているけれどもそれ以外の時間では領主や上級武士の為に鷹の餌となる鳥を捕まえる場所だったそう。農民は搾取されていたとする階級闘争史観には大変都合の悪い事に、加賀藩では農作業の休日もあり酒を飲んで一日体を休めたり猿回しを見学して過ごしたそう。

 戦国時代が終わった十七世紀では新田開発が盛んで米の収穫量も増えて人口も増えたのが、十八世紀になると田んぼの面積がほとんど増えない停滞期となったのは何故?と言うのが本書のテーマです。徳川吉宗の頃からなので、すると例えば田沼意次の印旛沼干拓も彼だから失敗したのではなく当時よくあった例の一つに過ぎないと言う事なのか。

 十七世紀の新田開発では農村共有の草場が残っていたので草刈りをして堆肥にしたり家畜の餌に活用していて地域で循環型農業が成立していたのに対して、十八世紀になるとそんな草場まで無理に新田開発したので地域で農業が完結しなくなってしまった。肥料を買い求めたり害虫駆除に必要な鯨油を買ってみたり。また森林伐採で土砂が流れ出したのが現在見られる砂浜の原因だと言う説は初めて聞いた。逆に藁などは商品価値が無くなって藁塚なんて誰も作らなくなったそう、確かに今の米農家は籾を捨てています。

 地域の循環型農業が成立しなくなって他所から肥料を買う時代になると農業経営も金がかかるようになる。すると経済力のある農家は家畜を駆使して購入した肥料で収穫量の増加を図りますが貧農はそれが出来ないと言う農村部においても格差が拡大して現代とそう変わらない。今なら収穫にコンバインを貸してもらうと手間賃で小規模農家だと利益が出ないとか言いますからね。江戸時代=エコと言う通説には疑問を投げかける一冊ですが江戸時代の農家の暮らしについては愛が深い。旧来の通説をアップデートさせるのに最適な一冊です。


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