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田沼意次―「商業革命」と江戸城政治家 [読書感想文]

 何この副読本。

田沼意次―「商業革命」と江戸城政治家 (日本史リブレット人)

田沼意次―「商業革命」と江戸城政治家 (日本史リブレット人)

  • 作者: 深谷 克己
  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 2010/12/01
  • メディア: 単行本

 ここしばらく田沼意次がマイブームでして、広瀬仁紀の「田沼意次」だの山本周五郎の「栄華物語」を読んだり。栄華物語は何処が田沼意次やねん!?と言う内容でラストの心中前で挫折してしまったけれども。フィクションではなくちゃんとした研究本を読もうかなと思いネットで注文したら高校の歴史教科書でお馴染みな山川出版社の参考書的な本が来て、本当に内容は正統派田沼意次研究本を読んでいるという前提の副読本だった。ですので例えばこの辺りを先に読んでおいた方が良いのだろうけれども、決して安くもない単行本なので図書館で借りた方が良いのだろうかね?

田沼意次:御不審を蒙ること、身に覚えなし (ミネルヴァ日本評伝選)

田沼意次:御不審を蒙ること、身に覚えなし (ミネルヴァ日本評伝選)

  • 作者: 藤田 覚
  • 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
  • 発売日: 2007/07/10
  • メディア: 単行本
 そうは言っても買った本書は読むしかない、冒頭に所謂「田沼時代」から想起されるイメージの変遷に触れた後に失脚後に田沼意次が何をしたか?を祈祷の上奏文や大名としての家訓制作、それと領地の遠州相良城築城と言う田沼意次研究本ではあまり触れない部分に注力して最後に田沼時代の産業について触れている流れ。小説と古典的な賄賂政治家と言う評判に昨今の開明的政治家と言う知識だけでも話にはついていけるのですがちゃんと知識がある方が良いに決まっているので藤田覚氏の本を先に読むべきかなと。


 形式上失脚は徳川家治の御不興を買ったと言う形式でなされ、本書は基本的に記録を辿る形式なので良く言われる松平定信の暗躍と言う話は出てこない。と言うよりもバブル経済的な田沼時代を朱子学をもって潰したのが松平定信と言うイメージでしたが、田沼意次自身も幕府のエリート官僚として朱子学のたしなみは存分にあったという見立てがなるほどだけれども意外。現代に置き換えると財務省の財政均衡主義が朱子学なのかなと思っていたけど例えば経済産業省までも財政均衡に目配りしている状態とでも言うのか。

 御不興を買ったショックで一時的に神仏にすがってみたけれどもすぐに田沼家の今後に気持ちを切り替えていたのが文書上はそうなっているとか、実際に田沼意次は失脚しても田沼家は大政奉還まで大名であり続けたそうで。私腹を肥やしたと言っても最高で5万7千石ですから、例えば似たような柳沢吉保が15万石だったのと比べれば大した事無い。しかし遠州に12年を費やして築城した相良城の建築費用について特に所領の年貢を重くしたとか金策に苦労した形跡も無いので著者の深谷氏はやはり評判通り商人などからのつけ届けで金には苦労しておらず費用もなんとかなったのではないか?と推定、その辺の裏を取材して取って欲しかったのですがね。

 最後に近世の商業革命として田沼時代の殖産興業ぷりを解説していますが、いきなり林基氏の「百姓一揆の伝統」なるものを紹介しているのが強烈。と言うのも「革命情勢」「前期プロレタリアート」「マニュファクチュア」「農民闘争史」と言ったレッテル貼りでかなり強引に江戸時代後期に共産主義革命の萌芽が既に存在したと言う方向に話を持って行こうとしている感が凄い。一昔前はなんでもそっちの方向に持っていこうとするのが当たり前だったのだな。

 そんな説をも紹介しつつ幕末の商業主義の発達により農業も商業化し、物流も発達して幕府サイドとしてもコントロール出来なくなった時代風土にある意味時代の子として登場したのが田沼意次であったと言う様な解釈かな。本書とは関係無いですが、徳川幕府は大名の力を削ぐ事と米の生産量を増やす事に注力し過ぎて米の価値を一生懸命下げ続けた挙句に米収が力の源である大名とサラリーを米で貰う武士を結果困窮化させて、武家社会の終焉を成し遂げたとも言えるので。そんな流れの中で商人層の更なる活性化により武家にトドメをさしたのが田沼時代なのかも。


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