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物流博物館 (港区高輪) [郷土博物館]

 夏休み最終日、前日広島から戻って来て自宅のせんべい布団の固さに閉口。呉駅前のビジネスホテルのベッドはフカフカだっただけにね。写真の整理をしてから午後に高輪の物流博物館へ行こうと、昨年来「利根川の東遷」に拘って方々の郷土博物館めぐりをしていたら明治以降の河川物流ではどうしても通運丸が出てくるのです。ならば本家本元の日本通運系の物流博物館へ行くのが良いかなと、明治初期に設立された通運丸の運航をしていた内国通運会社が日本通運の前身だし社名も通運丸にゆかりがあるし。

 新高輪プリンスホテルの向かいに有る事は以前から知っていましたが行くのは初めて、第二京浜から桜田通りに入り高輪台駅の交差点で右折すれば良いかなと思いましたがランチを新馬場で済ませたので品川駅前から坂を上がって東武ホテル裏手の目的知地目指す。正面に原付を停めて中央の扉を開けて入場、百円で入場すると受付で通運丸のペーパークラフトを200円で売っているのがとても気になりましたが買っても作らないので我慢。展示は基本1階と地階だそうな。
建物外観


 先ずは1階の常設へ、物流の歴史は江戸幕府がわざわざ道路網を貧相にしたので人力が主流。そこから馬車や鉄道輸送を経てオート三輪にトラック輸送と陸上交通の発展に合わせて進化します、海上は菱垣廻船や樽廻船と言う沿岸航路です。船と言っても現代のはしけが帆走になったような船ですからね、河川交通が主流なのに高瀬舟の展示がほぼ無いのは不満。飛脚はかなり充実していて、例の半裸で走る人ではなく馬に揺られる人もいたのか。何せ前述の内国通運会社が飛脚の会社が合併して出来た会社だけあるか。

 残念だったのは目的だった通運丸の展示が簡単だった事です、社名の由来なんだからもうちょっと丁寧にやってよ。これなら関宿城の方が余程詳しいぞ、と言うのは物流博物館なので、通運丸は旅客が主で貨物は従だったからどうしても扱いが簡単になるのだろうか。その関宿城でも河川流通は昭和になってもコストの安い高瀬舟が主流だったとあったか、高瀬舟は内国通運会社が運用していないからか扱いがほとんどない。
通運丸
 代わりに梱包の歴史がやたらに詳しくて面白い、と言っても高度成長期頃までは藁が主流なんだな。平成の始めに市場でバイトをしていたら中国産のニンニクを試験的に輸入したものが大きな柳行李で届いた事がありましたが、日本ではコンテナ物流が主流になっていた時代でしたが、そのコンテナも戦前から導入を目指していたとか。
昔の梱包
 地下は入るといきなりクイズやゲームばっかりのキッズコーナーなので、ざっと見て出ようかと思ったらAmazonの倉庫で使われているロボットの現物とその動画が上映されていてビックリした。収集がロボットなら多分箱詰めも例のブリスターパックも自動化されていて、Amazonの倉庫作業てそれほど過酷でも無さそう。



 それと奥の映像資料コーナーで映画を色々観る事が出来まして、1階の展示で紹介されていた「こうして米は運ばれる」と言う1959年の30分ほどの映画を観ましたがこれまたAmazonのロボット以上に衝撃的な内容でした。もうね、当時の日本は完全な社会主義国でして、食糧庁の計画を実行する為に各地の米蔵から米俵を大消費地の都市部に出荷するだけの内容なのですが作業がもう原始時代。ソロバンや機械式計算機で算定した数値を枠に書き込んでいき、その表をガリ版で文書にして俵を人力や牛馬の力を借りて蔵から出して積み込んだトラックはぬかるみにはまるし、鉄道への積み込みはとても非効率な人海戦術です。昨今AIやロボットを脅威と捉える向きも有りますが是非この映画を観て欲しい、マンパワーなんて非効率でコストがかかり過ぎますよ。

 とか、想定外にロジスティクスについて深く学んでしまった。2階は次回の企画展の準備を学芸員の人達がやっていたのでざっとだけ見てアンケートも記入する。年配者から平成生まれまで、木箱や藁の梱包の時代からロボットが仕分けする時代まで、そしてAIもロボットも無い時代の作業なんてとてもじゃないが現代ではやっていられないのも良くわかる内容でした。
Amazonのロボット

物流博物館
http://www.lmuse.or.jp/index.html


タグ:品川 高輪台
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