さて日曜日は日本郵船歴史博物館へ、神奈川県警の並びの洒落たビル。入ると中央に受付があり入館料400円を払い入場、その際に氷川丸とセット入場券500円を勧められましたが恐らく朝一番にでも来ないととてもじゃないが双方廻るのは不可能なので博物館オンリーで。展示は9つのエリアに別れていて最初はいきなり岩崎彌太郎の写真が有ったりスリーダイヤモンドのマーク(初期のは正直三ツ矢サイダーぽい)入りの鋳鉄製天水桶が飾ってあったりする。

 何かと思えば蓋の部分に後年内田百閒が寄せた「賛」が刻んであり何故内田百閒?と言うのは「東京焼盡」にあった通り戦前から戦中にかけて日本郵船の社員だったそうで、東京焼盡を読んでも会社で何の仕事をしていたのかサッパリ分らなかったのですがコチラの展示によると会社の文書校正をしていたそうで。在職中は文章を書く事は基本無かったのにこの賛の文だけはやったとか何とか、ジックリと読みましたが特段凄い事が書いてあるでもない。天水桶の向かいには岩崎彌太郎が記した宴会心得なんぞもあり、私は三菱と少々の縁もあり内田百閒も読んだばかりだったので楽しめました。

 展示2には三菱会社のライバルである半官半民の共同運輸会社の誕生秘話が、飛鳥山の渋沢史料館も行ったし澁澤栄一の本も何冊か読んでいるのでこれまた興味深い。三菱と共同運輸が合併して日本郵船会社が誕生、国内航路は鉄道網の発展により先が無くなりましたと言うのは利根川系の関宿城大利根分館で東京から利根川水系を廻る高速船通運丸の隆盛で見たばっかりだわ。