稲城市郷土資料室 (稲城市平尾) [郷土博物館]
日曜日は天気も良いので午前中に実家の草むしり。想定外に母が手伝ってくれたので捗って昼過ぎに一旦終了、と言うよりも腰が痛くて作業が続けられなくなった。そば屋でランチして帰宅してもまだ昼過ぎなので久々郷土博物館でも行こうかな?検索すると稲城市に郷土資料室と言うのがあるので行ってみよう。新百合ヶ丘から北上した辺りなので鶴川街道を下るか尻手黒川道を北上するか?と言うのは空いていそうな尻手黒川道で。
しかし尻手黒川道経由では鶴川街道の合流部分は新百合ヶ丘を通り過ぎているので少し東京側に戻り平尾中央通りへ左折。しばし進んでから右手の住宅地に入ると複合施設ふれんど平尾と言う施設があります。施設と言うよりも廃校した小学校、廃校がそのまま郷土博物館に転用される例は目黒区のめぐろ歴史資料館の例もあった。目黒区の展示は良かったので稲城市も期待して良いのだろうか?
外の駐車場奥に駐輪場があるのでそちらへ原付を停める。校舎からはビッグバンドなジャズがボーカル付きで聞こえてくるので練習か何かしているのだろうか?体育館も時間貸ししている風。体育館と校舎の間は雑草が生い茂っているのが現役の小学校ではなく廃校なのを物語っていますが花壇部分には野菜が植えられているので人の手は入っている。
校舎跡に近付くと外で客待ち顔の人に呼び止められたので郷土資料室に行きたいと言うと正面入り口の守衛室に声をかけて土足のまま1階廊下を抜けた先の廊下で2階に上がれと。本来の入り口は奥側で呼び止められなければ廊下を歩く事も無かったか。廃校ですがエレベータの追加工事などがされている。こちらは昭和51年に開校した稲城第八小学校跡だそうで階段の踊り場に第一回卒業生製作のモザイク画が飾ってあります、平成14年廃校とは学校としては26年しか使用しておらず流石にそれで建物を壊すのは勿体ないから再利用か。
2階に上がると歴史資料室1・標本展示室・歴史資料室2・民族資料室の4つの展示室と言うか教室がある。床の矢印に従い資料室1へ、残念ながら撮影禁止です。しかしその分紙の資料が置いてあるのでそれを貰えば良いのだけれども。最初はパネル展示なので小学生の社会科教科書とシンクロした展示だったらそんなに面白くないぞ。土器や石器は何処でも出土するなと思ったらこの平尾と言うエリアから出土している物が多いのはロマン、多摩ニュータウンから出土した土偶が沢山展示してあるのは開発時に発掘調査もしたのか。
弥生時代には環濠集落もあったのね、とみていくと武蔵国分寺の瓦を焼いた工房跡である瓦谷戸窯跡の復元模型が展示してありこれは面白い。そう言えば横浜市歴史博物館にも国分寺造営に何か収めたとあったけど何だったか?窯口を瓦で補強してあり内部が登り窯構造になっているのか。方形塼と言う正方形の石板に「蒲田郷長謹解申、武蔵国荏原郡」と刻んであり、大田区蒲田の豪族が荏原郡の役場に送った文が稲城で見つかるとか当時の物流が垣間見えてとても興味深い。
戦国時代の城址公園に関する資料などを見た先に江戸時代の農村、古代までの展示が充実している郷土博物館はこの時代は何となく失速しがちですが稲城市は古文書類が色々残っている様で面白い。戦災などで散逸する事無く代々保存されていた資料が残っているのか、過去見学に行った郷土博物館の中でも展示してある収蔵品の充実ぶりは上位ではないだろうか?展示の終わりに伝隠元筆だと言う掛け軸の複写があり、それを見ていると隣の部屋にいた老女が「田舎でもこんな立派な物があってありがたい」とか話しかけてきましたが江戸時代の古文書類が実に立派だと思うけどね。
順路通りに進むと次は標本展示室、何かと思えば昆虫の標本ですよ。旧都立稲城高校の物だったそうでこちらも第八小学校同様に昭和52年開校平成16年閉校とは大体その30年弱にこの地域の児童数が爆発的に増加してその後急速に減少したと言う事なのか。今の江東区の豊洲辺りも稲城市の事例を研究した方が良いのではないだろうか?廊下には郷土資料室が発刊した書籍の見本が並べてあり1階で購入できるそう、郷土史に興味がある人なら間違いなく面白そうでしたが私は紙の資料をこれ以上増やしたくない人なので買わず。
順序通り歴史展示室2へ、こちらが近現代。幕府直轄領や旗本領だった稲城市が明治維新で天領になると言うのはなるほど明治維新は農村目線で見るとそう言う事なのね。稲城村の誕生や学校教育に現JR南武線の開通、関東大震災では被害があったそうで、そこは揺れても被害が無かった江戸川区とは丘陵地と低地の違いなのだろうか。戦時中の学童疎開は流石に受け入れる方。戦後の話題は農地改革や農協の結成と言うのも23区とは異なっていて興味深いです。
消防団やここ第八小学校の歴史を見てからいよいよ民俗資料室ですよ。農機具や民具の展示は大体何処でも同じですね、酒徳利を千葉県の睦沢町では貧乏徳利と呼んでいたので呼称が優しい。養蚕農家の展示が簡単なのでそれほど盛んではなかったのか?梨栽培の歴史と民具の展示は出荷用の籠や木箱にラベルの変遷やら観光梨もぎに使った籠の展示は良かったです。神楽や大蛇を作って奉納と言うのは各地で多い気がする。
多摩川関連の展示、橋が開通する前の渡し船や砂利採掘。多摩川の砂利は武蔵小杉辺りまでやっていたと記憶しますが、鉄道網を使いトロッコを走らせて採掘するほど大規模だったのは知らなかった。漁船はともかく川遊び用の屋形船もあったそう、多摩川と言えば水深が浅いので船には向かないのではないかな?屋形船の模型を見るに喫水が浅いので座礁しない様に少し陸から離れる位だったのかね?船大工の道具を廃業時に寄贈して貰ったらしく丸ごと展示してありました。2時間弱見学するとすっかり暗くなってしまい、お風呂セットを持参しましたが真っすぐ帰宅しましたよ。
稲城市郷土資料室
https://www.city.inagi.tokyo.jp/kanko/rekishi/inagishikyodoshiryoshitsu/index.html
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