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横浜市電保存館 (横浜市磯子区滝頭) [郷土博物館]

 さて日曜日、梅雨の終わりらしい今日も不安定な予報。熱雷雲は土曜日同様に奥多摩方向で発生して夕方に23区北部方向へ流れるだろうと言う希望的予測に基づき昨日入り口だけ滞在した横浜市電保存館に行ってみよう、第二江陽館の所在地確認で地図を見ていたらこんな場所に博物館があると思ったので。16号線から掘割川沿いに行っても良かったのですが石川町から地蔵坂を上り稲荷坂までの信号の無いワインディングコースを楽しんでから滝頭へ。四間道路沿いの来栄軒と言う良い感じの町中華でランチを済ませてから入館。

 土曜日の閉館前はガラガラだった駐車場はほぼ満車、しかし入ってすぐ右手にある3台分の駐輪場は空いているしここなら見学中に雨が降っても大丈夫。入ると何処かの社会福祉協議会が子供を引率して来ていて入り口前パネルで記念撮影をしたり代表がまとめてお金を払っているのでしばし順番待ち。入館料は300円ですがここまで市バスで来たならば200円で入館できるそう、原付で来ちゃったしJAF割も無かったので300円払う。特に関所もなく売店のショウケースで半券をもぐでもなく入場できる、壁面には横浜開港以来現在までの市内の発展の歴史が図示されている。

 13時40分頃入館、予定ではこの後すぐ近くの金晴湯に行きたいので3時間位は滞在しないとダメかな?やはり風呂屋には17時頃行きたいじゃないですか。エントランス奥にガシャポンが並んでいて鉄道系の博物館の常としてやはりメインは小さいお子様なのね、エントランス裏手にトイレがあるので用足しを済ませてから車両展示コーナーへ。この施設は現在市電保存館前バス停ですが元は滝頭車両工場だったそう、正面に広がる広大な市営バスのモータープールもその昔は市電の車両基地だったのだろうか。とは言っても流石に当時のままでもなく上階は市営住宅だとか、交通局の寮だと思っていた。
500系
 しかし車両展示コーナーは車両基地そのままっぽいな、500系から1500系までの6両の市電と展示の説明を読むに営業終了時に花電車に改造された無蓋貨車がそのままの状態で並んでいます。子供らに大人気なのは一番手前の500系でして、それは戦前の車両と言う歴史的価値でも何でもなく「チンチン電車」の所以であるベルのフットスイッチが残してあるのはこの車両だけだから。もう子供が踏み付けるようにボタンを押すのでチンチン!と鳴り続けています。この500系は台車が中央にしか無いので何とも古典的な路面電車の趣がありますが動画を見ると前後に激しく揺れていてコレが昭和44年まで運航していたのか。


 その先はボギー式台車の市電ばかりで運転台も全部三菱製だしなあ、屋根部分は布で成形してペンキを塗ったような素材でしたが。市電の車両は戦前製造だろうが戦後モデルだろうが全て末期まで運行しているので現役時代に利用者としては当たり外れと思ったのですかね?奥の壁側には鉄道関係の書籍コーナーがあるのですがコロナで閲覧中止なんだとか。こんな場所に横浜駅東口の大時計を修繕して展示してある、通路側の扉から外に出ることができますがモータープールの市営バスやら工場で整備中のバスが見えるだけ。花電車の前にある休憩コーナーでは15年弱で運航停止をしてしまったトロリーバスの動画を見る事もできます。

 子連れ客はそのまま奥のOゲージレイアウトを展示した鉄道ジオラマや市電の運転シミュレーターや鉄道模型を展示した多目的コーナーに流れるのでしょうけど、その手前に歴史展示コーナーが有るのですよね。と言うよりも歴史展示コーナーを見るとこの施設が公共交通機関と言う切り口で横浜市の誕生と発展を紹介する場所なのがよくわかる。

 最初に横浜の誕生した理由が載っていて、条約では神奈川宿も開港する定めのところ江戸幕府が外国人に開放したくない一心で神奈川の先にある寒村の横浜を開港したのが始まりだったとか。そこに吉田新田開発も重なり現在の横浜市街地が誕生、その新田開発の吉田さん宅跡地には現在吉田興産と言う会社の建物があるのも歴史ロマンです。この保存館の近くを流れる掘割川も明治期の初めに水路として開削したものだそうで、確かに都心の小名木川同様の直線だわ。鉄道輸送が本格化するまではやはり水運が一番優れていたのだな。
吉田新田
 市電は明治37年に民間企業として営業開始した後大正時代に市営化したそう。民間鉄道会社を鉄道省が買い上げると言うのが明治日本での鉄道網整備の定石ですがこちらは経営破綻状態への救済と際限なく拡大し続ける横浜市の市民の足として市が買い上げるしかなかった風。花電車として展示してあった無蓋貨車も横浜市内にあったビール工場から藁苞の瓶ビール運搬に使っていたそうで、震災後は工場が新子安に移転したのでそれは無くなったそうです。

 その関東大震災で壊滅的な被害に遭うと言うのは震源地が三浦半島なのでより震源に近い横浜は建物の倒壊率は東京よりもはるかに高く、却ってそれで火災の二次災害は東京ほどではなかったと聞いていましたが展示の写真を見るとちゃんと焼けている。焼け残った市電の台車部分を無蓋で当座運用して乗客の苦労話も載っていました。震災と言えば東京ならば現23区の中心部から周辺部への人口移動を促す効果もありましたが横浜の場合も周辺部の宅地化が進んで市部が広がりを見せて市民の足である公共交通機関も延伸を重ねる。

 市民の足として現京急線や東急線も紹介されており、戦時下にはスピードアップと電力節約目的で急行運転開始とかそんな理由だったのか。戦後は市電に加えてトロリーバスを導入するもモータリゼーションにより渋滞で市電の運行に支障をきたした所に旧国鉄根岸線開通で市電の客をほとんど奪われて廃止に至る、グラフを見ると本当に根岸線開通後に利用者が激減していて何事かと。コラム的な展示もあり坂上に停車していた無人の市電が暴走した話、どの車両も運転席に輪留め備え付けしていたか。東京でも伊皿子坂から魚籃坂と言う結構な坂道で市電を運行していて、結構パワーのある乗り物なのだなと感心。
懐かしい
 その後市民の足としては市バスの発展と同時に市営地下鉄が云々とあります。横浜市営バスは多いと言うかバスだらけと言うか、「横浜市六大事業」と言う展示があり横浜ベイブリッジや首都高横羽線に地下鉄延伸計画やら港北ニュータウンまで入っているのが面白い。市電が営業休止した後の時代分な展示は横浜市の広報過ぎる。市営地下鉄も初乗りがバス運賃と高くなるべく乗らないようにしていますが開業当時はブルーラインだのグリーンライン言わなかったのか、当時のポスターが「タッチ」の南ちゃんやら斉藤由貴で時代を感じますね。港北ニュータウンも20年前は荒野に道路と地下鉄駅の出入口だけあるような調子でしたが今ではちゃんと住宅や商店が並んでいるし、とか見ていると本年2021年は横浜市営交通100周年の記念すべき年だったのね。コロナでなければ何かイベントをやったのだろうけど、何とも残念です。
今年は100周年
 展示の奥にはOゲージレイアウトに市電の運転シミュレーターと言う小さい子供のハートをガッツリ掴む動く展示にOゲージ鉄道模型と市販のHOゲージ展示がある。HOゲージは故人のコレクションを寄贈した物でして、単なる収集物ではなく塗装をしたりディテールアップした物です。市場に流通し得る収蔵品は買ったままなのでしょうけど博物館が引き取るのは市販品そのままではないのだな。Oゲージのコレクションは東急沿線民としてはお馴染みの車両も多い。一番奥では昔のニュース映画を観る事ができて何本か堪能。先程まで阿鼻叫喚だった館内はプラレールの走行会を別館でやるとか何とかでほぼ無人になりレイアウトの運転会も観客数名で寂しく見物、運転シミュレーターも今なら大人でも並ばず出来ますがパス。

 そんな調子で3時間見学して外に出ると空が真っ黒でビックリ、スマホの雨雲レーダーアプリを見ると東京側に熱雷雲がいて帰りにずぶ濡れ必至なのか。予定通り金晴湯に行くと風が急に冷たくなってこれはもうダメかもと思いましたが風呂から出たら雨は止んでいてほぼ濡れずに帰宅する事が出来ました。子連れでは市電の現物と模型コーナー中心の見学になってしまうでしょうけど、横浜市の誕生と発展を公共交通機関と言う切り口で紹介する歴史コーナーが面白いので是非見て欲しいです。

横浜市電保存館
https://www.shiden.yokohama/


タグ:根岸
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