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川口市立文化財センター (埼玉県川口市本町) [郷土博物館]

 日曜日、川口市の風呂屋に行こうと前から企んでいましたが、どうせ行くなら郷土資料館の見学もしたいよね。検索すると赤羽から新荒川大橋を渡って122号線沿いに有るらしい、地図で見ると荒川を越えて川口元郷駅手前かと行ってみたら橋を渡り終えたらすぐだった。地図の河川敷部分を市街地部分と勘違いしてしまったか。その手前で左折して増幸産業と言う会社敷地にある18ポンドカノン砲を先に見学。
18ポンドカノン砲
 本当に埼玉県に入って最初の大きな交差点の角、左折すると川口駅前に出るので一旦駅前でランチ。再び戻って122号線の反対側にある駐車場の奥に原付を突っ込む、交差点に歩道橋があるので建物全景を撮影すると3階までが市の施設でその上は公営住宅になっているのか。住宅部分と別な博物館入り口から入ると正面に鋳物工場をイメージした壁画と展示、左手に縄文人の等身大パネル。2階に上がる階段には昭和38年と明治43年洪水の時の水位が記してある、その先のほぼ2階フロアに縄文時代の海面を示す線もありましたが。

 事務所に行くとコロナ禍の今時な個人情報を書いて検温されて手指を消毒して100円払って入場、そもそも市立の学習施設を日曜午後に見学しようなどと言う物好きは私以外にいないので独占状態で見学出来たから三密も感染防止も関係無かったですよ。階段上がって正面の展示室1を見て奥の展示室2に進む様に言われて先ずは事務所向かいのトイレで用足しして見学開始。


上は公営住宅
 本当に普通のビルに展示品を並べているだけだわ、郷土博物館に立派な箱を作ってしまう自治体も有れば既存のビルで済ます自治体もあり川口市は後者ね。そう言うのはさておき展示を見学、川口市と言うか埼玉県東部と言えば縄文海進でそれこそ秩父まで古東京湾だったワケです。やっぱりと言うか何故か展示の土器は本物で、県立や国立の博物館にはレプリカが並んでいるのに不思議。教育目的なら展示品はレプリカで充分と言う考え方と、地域の住民に地元の宝である本物の出土品を見せたいという考え方の違いなのだろうか?

 などと思いつつ土器を見学、最初は全く無関心でしたが郷土博物館に通い続けると必ず最初は土器なので否が応でも興味が出てきたよ。縄文時代の漆器(篭を編んで漆で表面を固めた物)の本物が展示してあるのは初めて見たし解説と現物を見て理解がとても深まったとも言う。貝塚の貝殻も貝塚の層を剥ぎ取りで見せるのはよくありますが、コチラでは土を除去して出土した貝殻類を台に並べて好きに触らせる展示と言うのが珍しいのか意味あるのか?
縄文人の食べ残しを触って学習
 そんな教育目的展示だからか?縄文人のトチの実をアク抜きして食用状態に加工する作業場の図示なんぞはとても勉強になります、ある意味工場的だし。時代が進んで弥生式土器と古墳時代の甕型棺から一気に中世の板碑に飛んでしまうのはその間川口市的にトピックが無いのね。更にその後江戸時代初期に治水土木で腕をふるった伊奈忠治まで話が飛ぶのですが、利根川の東遷とか荒川の西遷については大好物なのでパネル展示でも楽しい。伊奈氏についてはさいたま市の北にある伊奈町の郷土資料館にも展示が有るようなのでそちらにも行ってみないとね。

 歴史はここまででこの先は風俗、オビシャと呼ばれる紙に描いた鬼の顔を的にして弓でいる神事や展示室1中央の柱に捲きついた藁製の大蛇の説明を読むよ。展示室1奥の部屋では川口駅前にあったサッポロビール工場(現アリオ)の歴史がパネル展で照会されていて、何故か明治期の麦酒酒造が戦後3大ビールメーカー(除サントリー)に集約されていく過程を細かく説明しているのが何なのか?それよりも奥にある昭和30年代の居間と言う展示、桐たんすや茶箱に川口ならではな鋳物製の火鉢が並ぶのは良いけれどもテレビがどう見ても昭和50年頃の物なのよね。もう学芸員が3~40代でそんな細かい事はどうでも良いのでしょうけれども、リアル世代としては昭和30年代の楕円形ブラウン管と50年ごろの大分スクエアになったブラウン管の違いは見てわかるだろうに?とやや凹む。

 展示室1を終えて2へ移動、川口市の地場産業の展示なのですが嫌でも目に入るのはパネル展示された安行植木の祖吉田権之丞について学習した川口市内小学3年生の書いたカードの展示です。ウィキペディア等は使わずに教材の記載内容で無難にまとめる今時の小学生のそつの無さが何とも言えませんが、「を」「や」「に」なんぞの平仮名が明らかにおかしな子もいて共感を覚える。私も小学校中学年の頃は形が理解出来ずに変な平仮名を書いていたなと当時の事を思わず思い出してしまった。

 川口市の産業と言う事でレンコン農家の絣の着物を着た農婦のモノクロ画像がちょっと好みの顔だなとか思っているとその奥に川口と言えばの鋳物、だるまストーブや井戸の手押しポンプはわかりますがコークス用のバケツなんてプレスで作れば良いのに鋳物なのか。奥に積み上げた御櫃の様な物体は鋳物製の火鉢だそうで使っているのを見た事がありません、私が子供の頃はギリギリ現役でしたが大体陶器製だった。風呂釜や風呂桶も鋳物製でそれが一般的だったのだろうか?風呂釜は赤銅を板金して作った物なら平成の初めまで見かけました。

 その先には味噌の展示がありコレは文化財センターから少し北上した場所にある旧田中家住宅と言う洋館にも昔味噌工場があったとかで川口市の味噌に興味があるなら両方見るのが良いかな。文化財センターは「アヅマイチ味噌」で田中家は「ジョウタイチ味噌」ね。その先に柿渋の話がありましたが、柿渋オンリーで例えば番傘に塗ったとかは無いのか、大消費地の近くなので単一商品として成立していたのだろうか。

 その先に小学生の作文が先行公開になっていた安行の植木、現豊島区辺りで盛んだった鉢物は当時の人の園芸ブーム故でしたがこちらは江戸市中で防火に役立つと売り込んだ吉田権之丞が祖となったとかで植木屋と言えばな根を篭巻きにする型の紹介とかちょっとマニアック。最後にまた鋳物を今度はベーゴマで製造法を説明、ベーゴマは私の世代では駄菓子屋でギリギリ売っていましたが今の子供には難易度が高すぎるかなと。

 最後に物流、これが見たかったのよ。簡単なパネル展示ですが芝川と荒川での河川舟運を解説してくれています。県立博物館にもあった見沼通船堀や文化財センターのすぐ北側に位置する元郷にあった河岸場、見沼で使われていたヒラタ船は先ほどのアヅマイチ味噌での写真を図にした物で他に帆走中の写真なども。艪と帆柱の現物が展示と言うか床に置いてありますが河川物流好きとしては興奮する、知らない人が見るとただの棒ですが。子供向け展示なのでしょうけどその道に興味のある人なら必見な学芸員さん達の愛情が感じられる設備ですね。
ヒラタ船

川口市立文化財センター
http://www.kawaguchi-bunkazai.jp/center/


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