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日本郵船歴史博物館 (神奈川県横浜市中区海岸通) [郷土博物館]

 さて日曜日は日本郵船歴史博物館へ、神奈川県警の並びの洒落たビル。入ると中央に受付があり入館料400円を払い入場、その際に氷川丸とセット入場券500円を勧められましたが恐らく朝一番にでも来ないととてもじゃないが双方廻るのは不可能なので博物館オンリーで。展示は9つのエリアに別れていて最初はいきなり岩崎彌太郎の写真が有ったりスリーダイヤモンドのマーク(初期のは正直三ツ矢サイダーぽい)入りの鋳鉄製天水桶が飾ってあったりする。

 何かと思えば蓋の部分に後年内田百閒が寄せた「賛」が刻んであり何故内田百閒?と言うのは「東京焼盡」にあった通り戦前から戦中にかけて日本郵船の社員だったそうで、東京焼盡を読んでも会社で何の仕事をしていたのかサッパリ分らなかったのですがコチラの展示によると会社の文書校正をしていたそうで。在職中は文章を書く事は基本無かったのにこの賛の文だけはやったとか何とか、ジックリと読みましたが特段凄い事が書いてあるでもない。天水桶の向かいには岩崎彌太郎が記した宴会心得なんぞもあり、私は三菱と少々の縁もあり内田百閒も読んだばかりだったので楽しめました。

 展示2には三菱会社のライバルである半官半民の共同運輸会社の誕生秘話が、飛鳥山の渋沢史料館も行ったし澁澤栄一の本も何冊か読んでいるのでこれまた興味深い。三菱と共同運輸が合併して日本郵船会社が誕生、国内航路は鉄道網の発展により先が無くなりましたと言うのは利根川系の関宿城大利根分館で東京から利根川水系を廻る高速船通運丸の隆盛で見たばっかりだわ。
正面


 そこで海外航路に活路を見出すのですが、インドのタタ商会とか出てくるのが現在のタタグループの前身なのか。その頃は日清日露戦争で徴用されたりの苦労が有ったとか、例の「敵艦見ユ」の無電を打った信濃丸は日本郵船の所有だったそう。因みに故水木しげる氏がラバウルに出征する時に乗ったのも信濃丸で何とも長生き、海運会社の博物館なので見どころの一つが船舶模型でして展示3に信濃丸の大きな模型が展示してあります。が、舵輪が半分しかないのは何か?と言うのは何と中央に鏡を挟んで左舷だけの模型を左右に展示してあった、本来はカットモデルとか?どういう風に展示してあったのかね?

 展示3と4はその国際航路時代でして欧米の豪華客船の向こうを張って大型化・高速化と豪華を追求していくのが良くわかる、1/48スケールの浅間丸模型は見ごたえあり。料理サンプルを見て館内に多かった高齢者グループが頓珍漢な事を言っていたけど鶏のローストとテリーヌだろ、興味深かったのは食器も一流品かと思いきや安いそうで、一航海で実に7割が割れる事もあるから仕方ないそう。国際航路時代に乗船した著名人が写真付きで紹介されていましたが、「エフレム・ジンバリスト」て演奏家だったのは知らなかった。息子がTVスターとして活躍していたのは知っているのですが、太平洋航路のお客向けに寄港地ではコレを買えと言うガイドに京都や朝鮮が載っているにも面白い、コレはミュージアムショップで絵葉書になって売っていました。

 展示5は太平洋戦争の話でして空母隼鷹型は商船改造の航空母艦だよな位の知識でしたが、日本郵船サイドからすると本来は自社保有の船舶だったのだなと言う悔しさがにじみ出た文体なのがなるほどなと。信濃丸同様に有名な悲劇の対馬丸も日本郵船保有の船だったそうで遭難の話にコーナー1つ割いてますね。それと船名失念しましたがつい数年前にアメリカから買い戻した1/48スケールの大きな模型は戦後に補償として接収されたそうでこんな物まで戦時賠償の対象だったのかと呆れるやら感心するやら。

タミヤ 1/700 ウォーターラインシリーズ No.212 日本海軍 航空母艦 隼鷹 プラモデル 31212

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  • 出版社/メーカー: タミヤ(TAMIYA)
  • メディア: おもちゃ&ホビー

 展示6以降は戦後の話でして、戦争で保有船舶のかなりが無くなり、日本政府の戦時補償は受ける事が出来ず、GHQから大型船の建造が禁止された中から如何に復興したか?と言うお話。そこよりも近年の採算ベースに乗せるための超大型化と機能特化型に進化する方が大変なように思える。常設の奥でコンテナ船50周年の特別展をやっていまして、こちらも昨今の自動車運搬船や超大型客船の様に醜いと言っても良いレベルで機能に特化したコンテナ船の歴史を模型とパネルで紹介していて面白い、併せてガントリークレーンまで超大型化していたのだなと。

 ミュージアムショップでは模型船を売っているのが危険なのですが、値段がとても高いので買えないから安全かも。常設に展示してあった模型もこの歳になると若い頃気付かなかった事が色々見えて面白い、展示2ならまだ機帆船くらいなのでマストは本当に帆を張るものなのが段々とデリック(クレーン)の支柱に役割が変わっていってマスト下に船室用ハッチが有るからここから荷物を積み込むのだなとか今更理解したり。模型と言えばこのビルも元は7階建てだったそうで当時の模型も展示してありました、周辺に博物館が沢山集中しているので取捨選択すると他の有名どころに行くべきなのでしょうけど私は楽しんで見学出来ました。

日本郵船歴史博物館
http://www.nyk.com/rekishi/


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