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すみだ郷土文化資料館 (墨田区向島) [郷土博物館]

 ハーフマラソン大会を完走してヨレヨレ状態で一旦十条へ、赤羽界隈の町会掲示板に十条でカレー祭りをやっているとあったから行ってみたのですがサッパリ分らず結局線路脇でラーメンにありつく。ヨレヨレですが午後の予定として予めすみだ郷土文化資料館見学を想定していたので中山道から浅草方面へ抜けて吾妻橋を渡りすぐ左折すると目指すすみだ郷土文化資料館、特に駐輪場も無い風なので敷地内に原付を停めて入場。
正面
 入ると女性が詰めていて見学料百円を払い入場、1階は常設でして反時計回りに展示を見学する感じ。とは言っても入り口付近は売店で奥の公道側は図書館、とは言ってもマンガ単行本が揃えてあったりでなんだ?その奥の常設コーナーは年代別に展示をまとめてあるのは郷土博物館のお約束なんですけど、墨田区って北部以外は歴史上近世まで大体海底だったのか。

 江戸時代初期の利根川の東遷・荒川の西遷で従前の河川湿地だったのが江戸の下町に生まれ変わったのですからね、伊勢物語の「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」の下りがこの界隈なのか、この施設の北側にその言問橋があるのでこの界隈で在原業平がメソメソしていたのだなとか思わなくもない。


 下半身がガタガタなので階段を登れずエレベータに乗って3階へ、「墨堤の桜と江戸・明治」と言う企画展をやっています。正直隅田川沿いの桜なんて遠くから眺める程度なのですが、八代将軍吉宗が植えた桜がその後どう変遷したか?と言う話は感心しました。ソメイヨシノの寿命からして何回か代替わりをしているのは当然なのでしょうけど、昭和期の公園緑地としての整備から戦後の防災上堤防強化等で同じに見えてすっかり姿を改めていたのが錦絵を見つつ良くわかりました。

 2階は「すみだの寺社と源頼朝」と言う展示でちょっとコレはピンと来なさ過ぎて雑に見てしまった。それと翌6日で終わりの「東京空襲体験画展」と言うのもやっていました、折しも内田百閒先生の「東京焼盡」を読んでいる最中だったので空襲の話が二重三重に。しかも4月29日に昭和館に行ったし翌6日に横浜美術館に行ったら広島の原爆写真展をやっていたので何やら戦争末期の都市爆撃について連休中に集中学習した状態。

 絵画展ですので罹災者が自らの体験を描いた物なのですが、基本画の素人さんが描く拙い作品ばかりなのが却って凄惨さが伝わってきますね。焼けた消防車の傍らで消防ホースを構えたまま絶命していた消防士や、避難中に火ぶくれになった赤ん坊が炎の旋風で飛んで来て足に当たった画やら炎に巻かれて全員死んでしまった避難者とか。川に逃げたまま死んでしまいその死体を憲兵がさらう様子とか、住宅と人口が密集していた下町はやはり悲惨だなと。

 内田百閒先生が家を焼かれた5月25日の山の手大空襲はお屋敷町で人口も少ないので下町に比べると非難ものんびりな気がする、それは今日でも住宅密集地やタワーマンションで戦争は無いにせよ罹災するのと山の手エリアとじゃ差が出るのだろうな。その他千葉に集団疎開していたら両親が空襲で死んで、叔父に連れられて新潟の親戚の家に貰われたけれども東京に根性で帰ってきました、何て言う絵日記を思わず見入ったり。1階の常設だけで見ると物足りないのですが3フロアあるので展示が少ないでも無いですね。

すみだ郷土文化資料館
https://www.city.sumida.lg.jp/sisetu_info/siryou/kyoudobunka/index.html


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